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キャッチフレーズから。





つい先日の出来事。




『今から、街や駅に出向いて普段じっくりと見ないようなもの等を観察し、その場所を紹介できるようなキャッチフレーズを見つけ、レポートしてきて下さい。』




仕事で言われたので、
某駅の新幹線口へ出向いた。





そして観察。





この改札口なんて、
これまでに何十回、何百回?通ったか分からないが、
新幹線に乗るわけでもなく、
急ぎで通り過ぎるわけでもなく、



ただただじっと観察するためだけに、
ソコに居るなんて初めての経験だ。



こんなに改めて、
この場所で立ち止まったことなんて、
今までになかった。




とりあえず、
五感すべてを駆使してみようと試みる。




ー視覚。


平日の昼間の新幹線の改札口は、
モノトーン・黒づくめだ。



色彩がない。




サラリーマンたちが、
新幹線が停まったのであろうたびに、
固まりになって、大量に溢れ出て、


改札口のチューブから、
散り散りに散らばってゆく。



それがまた、
無機質な黒の没個性の中に埋もれた、胸のときめかない、つまらないものののようにも思え、


ステータスとプライドを持って
キリリと引き締まった、ハイソでソフィスティケートされた存在にも思える。



平日。
都市の改札口。


人々が足早に去っていく。
交わることのない、各々が大群をなす。
人と人とが入れ替わっているはずなのに、
時間が経っても、
色がない。
表情がない。
フォーマルなスーツの色で身をつつみ、
自分自身を消しているように見える。
急ぎ足で去っていく。
表情や目線は、今この瞬間、この場所ではなく、

どこか遠く、未来へ向けられている。



この場所で、
『今』『この場所』を見つめているのは、
私たちくらいのものだろう。





…でも、


こういう存在の人達が、
今の日本を支えているんだな、としみじみ思う。




過去の私なら、
そういう存在の人達に対して、
過剰に意識をしていたかな。
自分自身を追求したいと思うあまりに、
そういう存在になることを、放棄したいと思っていた時期があるので。



でも今はきっと、
何の抵抗もなく、あの中の一員に溶け込むことができる。



『社会人』の一員として。




でもね、
それだけじゃやっぱり、
面白みが全くないのよ。



『色彩感』
『不規則拍子』
『臨時記号』
『大胆さ』
『ポップ』
『個性』


そういうものを、
この大衆の中にもほしいな。


そうしたら、この世の中は、もっと面白みのあるものになるのに。




不調和になれと言うわけではなく、
それらがうまく混ざり合えばよい。



少なくとも私は、
そういう存在でありたい。





ー聴覚。



人々の足音や
新幹線の轟音
駅内アナウンス


騒音がけたたましい不協和音を生み出している。



でも、
私はその中でも、
新幹線や空港独特の、


英語のアナウンスが格別に好きだ。



ここを出発点にして、
どこか遠くに旅立つ、


そんなワクワク感が私の心をわしづかみにするから。




それにしても、
日常で、よ~く耳をそばだてて、意識的に周りの音を聞く、



そんな作業を、
忙しければ忙しいほど、
することはないだけに、
とても新鮮だった。



普段は聞こえないような音楽が
聞こえるから。



ーそして、
壁一面のアイパッドの宣伝の広告や、
東京タワーやスカイツリー、
観劇のポスターなど



街にはデザインが溢れている。



そしてそれは、
あからさまに、2012年の『今』という時代を象徴している。




壁いっぱいのアイパッドのポスターなんて、
私の中学時代には存在しなかったわけだから。




…そんなことを思いながら、
なんとか街の魅力を紹介できるような、
ポジティブで魅力的な言葉の破片を持ち帰って、


なんとか繋ぎ合わせて、
私なりのレポートをしたとさ。





これは、
リポーターの仕事だったりするのだが、


改めて日常を意識し、
普段何気なくやり過ごしてしまうような、
そんな物事に改めて焦点を当て、目を皿のように開け、耳の穴をかっぽじって、観察する、


そんな面白い体験だった。




サラリーマンとアーティストの違いは、
きっとそんなところにあるのね。




サラリーマンは、
日常の余分なものを切り捨てて突っ走る

芸術家は
骨の破片を拾うように、
取りこぼしなく日常を拾っていく




私は、


後者の在り方が好きだな。




きっと画家も詩人も小説家も漫画家も音楽家も、

同じように日常を見つめているんだよね。


自分のレンズで見つめて、魅力的な姿を探して。









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[ 2012/06/06 21:57 ] コラム | TB(0) | CM(2)

NoTitle

骨の破片を拾うように、
取りこぼしなく日常を拾っていく

わたしもこういう生き方でありたいな

そして
>不調和になれと言うわけではなく、
それらがうまく混ざり合えばよい。


よくわかる。。。
わたしは前者の中にいるしかなくてそれでもいきつきたい後者の生き方を少しずつ得た途端に、
前者を否定した。

上手く混ざりあえる世界はあるのだろうね。
まずは自分から。
[ 2012/06/10 00:36 ] [ 編集 ]

NoTitle

>上手く混ざりあえる世界はあるのだろうね。
>まずは自分から。

とっても素敵な考え方が自ずと湧き上がってくるあなたが好き!!w
そうだね、上手く混ざりあえる世界があるはず。
そしてそれは自分から、そういうレンズで世界を見ることが大事。。。。

最近、殊にそう思います。


せっかく与えられた時間と人生だもん。
まっしぐらに脇目も振らずゴールを目指すだけではなく、
たまにはスピードを緩めてみたり、上げてみたりしながら、
色んな可能性が自分にあって、速度によって見える景色が違う、ということを実感しながら、高みを目指していきたいね!
時にはゆっくりと、咲いている花の美しさや、澄み切った空気の美しさに感動しながら、
時には走っている爽快感を知りながら、
苦しみや血の滲むような努力が喜びに感じる瞬間を味わいながら。

そういう身近にたくさんの感動や喜びがあること、
何気ない日常を楽しく笑いに変えることがどんなに尊いかを知っている私らは、幸せ者だね!

某N田先生がとある座談会で去年言ってたよ。
「にんじんやジャガイモ、ブロッコリーなど色とりどりで種類が違うものが一緒くたになったホワイトシチューはお互いの味を生かし合い、より深みがある味となる。
私達の世界も、何か一色に染めるのではなく、一種類だけに強制するでもなく、そういう世界を目指さなくてはいけない。」

ってね。

自分の価値観をついつい押しつけたくなってしまうし、
違うものはついつい排除したくなってしまうけれど、
そうではなくて、生かし合うことを心がけていかなくちゃね。

その中でも、自分達は色彩豊かでポップな人種として、世界に華を添えていこうじゃないか!!w
[ 2012/08/18 19:55 ] [ 編集 ]

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