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そうだ京都へ行こう!第4回目~清水寺・毘沙門堂の紅葉~


11月25,26日と関西の方へ行って来ました。
1日目は大阪のドイツ領事館へ。そして2日目はどうしても
私が物心がつく前に亡くなった祖父にお参りにいきたくて。。。京都へ。




なんと1週間ぶりです。しかも11月に入って3回目の京都(笑)
10月31日もいれると4回来てることになる。清水寺は3回目です(笑)(笑)










前日に大雨が降り、気温が一気にグンと下がったため、一気に紅葉がピークになりました。
今日明日あたりが最も大ピークだそうです。
確かに先週にはなかったような萌えるような赤に一気に染め上げられている。


あまりの美しさに言葉を失いました。




前回も言いましたが、京都の秋ってこんなに綺麗だったんですね。
なんて見事なんだろう!!

以前のブログにも載せましたが、同じ場所で3週間前はこんな感じでした。



これが11月26日にはこうです。




驚きと感動以外の何物でもありません!!

世界は急速に、彩り鮮やかになって、真冬の前の刹那的な美しさを放っています。




私が今回、清水寺に訪れたのはそのふもとで祖父が眠っているから。




お恥ずかしながら、今まで知りませんでした。
いえ、滋賀県の祖父のお墓には何度もお参りに行ってますけれど。
でもお墓以外に半分のお骨が、清水寺のふもとの大谷本廊に眠っているんです。


5,6歳の夏に納骨に行ったときに私も一緒に行ったのはうっすら覚えているのですが、
そこからずっと来たことはありませんでした。
こんなところ(清水寺のふもと)におじいちゃんがいたんだぁー!!!
と知ったのは実は先週。
ヒッチハイカーを乗せてあげて降ろしてあげたときに気付いたのです。。。




奇遇にも!?今日は祖父の命日。


絶対に行かなくてはなるまいと思ったのです。
独りぼっちでもいいから、祖父の眠っている場所に行きたい!!
祖父と直接対面したい。



ここまで、色んなことが驚くほどスルスルと展開しています。
特にこの数ヶ月。中でもとりわけこの1ヶ月は私の力ではなく、
まるで何か見えない力に導かれているのではないかと思うほどです。
びっくりしています。
祖父がそばにいて引っ張り出してくれているのではないかと思うのです。



これまで
苦しいなと思っていたことも、心残りだったこともこの数日ですべて
清算してしまいました。なかなか会いたくても会えなかった人ともようやく会えた。
でもこれは全部背後に祖父がついていてくれて、
私をしっかりと今まで待ち望んでいたところへ連れて行ってくれるような気がしてならないのです。


これから私の新しい世界が開けます。
これまでの自分は、昨日までの世界に閉じ込めたのです。
大阪の領事館に行ったのもそう。
私には新しい扉が開かれて、長かった暗いトンネルの扉が閉ざされたのを感じる。


どんなに辛かったことも悲しかったことも我慢しなくてはいけなかったことも、
すべてここに繋がっていて、あのとき我慢していなかったらここまでの達成感や喜び、
幸せはきっと手にできなかっただろうと今だからこそ思います。

そう思うと、すべて強張っていたものがほころんで、ほどけて、
すべての物事がたとえどんな事でもありがたく思えて、
そして頑張ってきた自分自身がとんでもなく愛しくてかわいいやつに思える。



いいんだいいんだ。これですべていいんだ。
良かったんだ。



そんな全肯定的なラッパのような音色が私の心の何処かで鳴っている。




そうすると、今まで硬く強張って頑なになっていた心の部分が緩んで、
そこからあったかーい、ジワジワと心の渇いたところにまで染み渡るような
優しくてありがたい感謝の想いが自分の身体中にいっぱーいいっぱーい広がって、


思わずおじいちゃんの納骨、仏壇の前で、おいおい声をあげて号泣してしまいました。





なんなんでしょう、悲しさとか切なさとか
そんなものは一切ないのです。ただただ嬉しさと喜びと感謝で震えてるのです。
それも上っ面な感情じゃない。魂の底の底から欠乏していたものが満たされて、
まるで自分じゃない誰かが泣いているかのような感覚でした。


おじいちゃん、ごめんね、ごめんね。
おじいちゃん、ありがとね。


なぜか分からないけれど、
そんな想いでいっぱいになり、溢れて溢れてたまりませんでした。
祖父との記憶は残念ながらありませんが、
物心ついたときには既にこの世に肉体の形をしていなかった祖父に
こんな感情を抱けるなんて。

とにかく嬉しくて胸が熱くなったのです。
まるで宇治で修業をしているときと同じ感覚。
私じゃなくて、もちろん私自身もそうなんですが、
それだけじゃなくて、祖父が私の中にいる。嬉しくて喜んでいて
こんなに震えてるのは私じゃない。私だけじゃなくて祖父の想いだ!!
なんて瞬間に感じました。


自分だけじゃなくて、
祖父の意識が私の中でうごめいており、
だから突然わけもなく突然滝のような熱い涙がひとりでにこぼれているのだ、


と感じました。なんだか勝手に。



祖父がそばにいてくれるから、これから絶対に大丈夫だ。
これからどんどん面白いぐらい、物事は動いていくんだろうなと直感的に感じました。





そして、急に思い浮かんだのはビートルズのこの曲。




【IN MY LIFE- The Beatles】
http://youtu.be/NpAJT1dX3CE





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There are places I’ll remember all my life
生涯、忘れられない場所がいくつもある

Though some have changed
変わっていってしまったものや
Some forever not for better
いつまで経ってもそのままの場所
Some have gone and some remain
もう消えてしまったもの、まだ残ってるものもあるけれど
All these places had their moments
それぞれの場所には恋人とのひとときや
With lovers and friends I still can recall
友達との想い出が結びついている
Some are dead and some are living
もう亡くなった人もいるし、生きてる人もいる
In my life I’ve loved them all
ぼくの人生で、みんな、ずっと愛してたよ


But of all these friends and lovers
There is no one compares with you
でもね、
君と比べられる人なんかいないんだ
And these mem’ries lose their meaning
君の前では
どんな想い出だって色褪せてしまう
When I think of love as something new
新しい気持ちで愛を考えたとき
Though I know I’ll never lose affection
For people and things that went before
かつて身近にいた人たちへの愛情は変わらないけれど
I know I’ll often stop and think about them
時折立ち止まって思い出すこともあるけれど
In my life I’ll love you more
ぼくの人生で、君ほど愛するひとはいないんだ




Though I know I’ll never lose affection
For people and things that went before
ぼくは忘れたわけじゃないんだ
かつて身近にいた人たちのことを
I know I’ll often stop and think about them
過ぎ去ってしまったものへの愛情を
時折立ち止まって思い出すこともあるんだ
In my life I’ll love you more
それでも、
ぼくの人生で、君ほど愛するひとはいないんだよ


   (聖美 訳)



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私のインマイライフ。
終わったように見えたものや過ぎ去って行ったように思うもの、
失ってしまったようにみえるもの、
それでボロ雑巾のようになってた自分や、
はつきれそうな風船みたいな心になってた自分。
それはすべて祖父たちのくれた優しさだったんだと悟りました。
ここに、それからこれからに繋がっていくための。


ひとりで悩んでたときも、ひとりで悩んでるように思いながらも
常に近くで寄り添ってくれていたんだろうなぁ。
ありえないような色んなことがポンポン起こるから、それをもう信じずにはいられない。





そうこうしながら、清水寺へのルートと呼ばれるお墓の道をゆっくり想いを噛み締めながら

歩いて上っていきました。


そこは、紅葉に見守られた美しい丘で
あの観光客がごった返している激しい通り道とはちがい、
お墓と遠くの山の紅葉と鳥の鳴き声が全世界。
ただただ静寂に包まれていました。


お墓ってそんなに居心地の良い場所ではないけれど、
ひとしきり泣いて震えて、神聖な、澄み切った心になって、
清らかな気持ちになって、まるで生まれ変わったかのような私の目には
とても美しい場所に思える。




嗚呼。こんな場所に祖父は眠っていたのね。
何年も何年もずっと、この春夏秋冬折々の美しさの中に見られながら。

この時期はこんなにも紅葉が美しかったのか。。。
まったく知りませんでした。祖父は一人でこの映りゆく季節の美しさを
静かに楽しんでいたのですね。全然そのことにも、
こんな世界が存在していたことにも気付かずに、今まで慌ただしさに翻弄されていて
おじいちゃんごめんなさい!


そして色々あったように思えても、今日に至るまで貴方の遺してくれた
私の家族や親族たちは元気です。おじいちゃん、どんなときでも助けて支えてくれて
ありがとうございます。






‥そんなことを思いながら、ふと思い出したのはこのフーゴ・ウ〝ォルフの
『アナクレオンの墓』という曲。
2004年に習って以来、10年間忘れていて
思い出したことすらこの10年あっただろうか。。。(笑)




10年ぶりに聴きながら歩いてみる。



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アナクレオンの墓
⬅︎タイトルをクリックしてね!美しい曲が流れます!!
ゲーテ作詞


薔薇(ばら)の花が咲き
葡萄(ぶどう)の蔦(つた)
が月桂樹に絡む

雉鳩が誘い
蟋蟀(こおろぎ)が歓を楽しむところ、


すべての神々が生きとし生けるものに
生命を吹き込み植え飾るこの場所に
そのお墓がある

これは一体誰のものだろう?

これは他ならぬならぬアナクレオンの憩いの地。



春や夏、そして秋と幸多き詩人は歌をつくした、
そして迫り来る冬…

丘がこの地をしかと守ってくれるだろう。



※訳…わたし。


“Anakreons Grab”
Wo die Rose hier blüht,
wo Reben um Lorbeer sich schlingen,
Wo das Turtelchen lockt,
wo sich das Grillchen ergetzt,
Welch ein Grab ist hier, das alle Götter mit Leben
Schön bepflanzt und geziert?
Es ist Anakreons Ruh.
Frühling, Sommer und Herbst genoß der glückliche Dichter;
Vor dem Winter hat ihn endlich der Hügel geschützt.


※アナクレオンというのは、
恋、酒といった人生の楽しみをあざやかに歌いあげた
紀元前6世紀のギリシャの抒情詩人です。


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この曲はとても静寂ながら
私の心の琴線に触れる歌。


この曲は『崇高な静寂感』があり、
何千年も前に消えた生命(死)と
今みずみずしく生まれいく生命(生)
との対比があまりにも素晴らしいのです。

でもその死には
全く悲しみや憎しみ、寂しさは存在せず、
『生』=安らぎと究極の憩いがある。

お墓の上に花が咲き草木が芽吹き、
美しい彩りがその丘にある。
死もまるで生の営みの中に取り込まれているかのように。
まるで何千年も前にそこに存在していた怒りや苦しみ、悲しみや喜び、
その人間のちっぽけな生涯なんてまるで関係ないように。



そんな壮大さな生命の息吹の循環、
壮大なようで刹那的な時間の流れを
この美しい詩とリズムから感じずにはいられない曲です。
ゲーテの詩には、短い描写の中に
絵画のような条件が想像できます。
(ちなみに鳥のさえずりや草木の芽吹きをピアノが表現してます。
この作曲者ウ″ォルフのまた素晴らしさをぜひご堪能下さい!)
彩り華やかなのに、この静けさは一体何なのだろう。。。


祖父の命日に、こんなことを感じたわけです。


‥さて。
この場所でひとり静寂な時間を過ごしたあとに訪れた清水寺は、
見事に人がごった返していました。





うふふ( ̄▽ ̄)さっきまでのあの静かな時間は私にとって
目に見えないものと向き合った、とても貴重な時間!!



ちなみに清水寺には先週ヒッチハイカーが行ったという縁結びの神社もこんなところに!
知りませんでしたー。





そうして夕方ギリギリに清水五条駅から山科へ向かいました。




そう!先週行きたくて目の前まできたけれど断念したという
『毘沙門堂』。紅葉の名所です!!





人混みでごった返していた清水寺とは違って、ここはとても穴場!
雰囲気も素晴らしいし、とにかく人が少なくて静かです。ゆっくりのんびり回れます。
紅葉の名所のわりに、結構地味な印象でした。。。でもそれがまた、『侘び寂び』の日本文化の
美しさそのままでとっても素敵です!(清水寺はある種テーマパーク的なので。。。)

山科駅から結構歩きます。でもその道すがらも静かで、
時間の流れが穏やかです。古き良き日本の良さを堪能できます!


傘要らないよね、と駅のロッカーに傘を置いてきてしまったのですが、
毘沙門堂散策中に降り出してきてしまいました。寒空の下、雨が冷たいですが
空気が澄みきっていて、しとしと静かに音もなく降り注ぐ雨がまた綺麗。

まさに恵みの雨という感じでした。


せっかくここまで来たので、ライトアップまで45分ぐらい
傘もささずに外で待って、毘沙門堂の点灯の瞬間も居合わせることにしました。







本当に本当に幻想的!!
雨にしっとりと濡れてつやつや生き生き輝いている紅葉のまた美しいこと。
iPadではこの美しさがお届けできなくて残念にもほどがあるけれどm(__)m

先週のライトアップの比較にならないほどの美しさでした。
毘沙門堂の和尚さんも昨日からの雨と気温が絶好で、1番の大ピークだとおっしゃってました。
私もこの世のものとは思えないこの美しさを目にして、そう思いました。








桜の季節の京都は知っているし、新緑芽生える季節や、冬の京都も知っているけれど、
こんなに幻想的でここまで美しい秋に初めて出会いました。
日本の秋がこんなに綺麗だったなんて、初めて知りました。

祖父の命日で、祖父に会いに来なければ
私は今日この日に絶対にここにはこなかったでしょう。


祖父がこの景色を見せてくれたんだなぁと思いました。




これほどまでの美しさを魅せてくれたこと、感謝します。
おじいちゃん、ありがとう!!






愛を込めて。
聖美
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[ 2014/11/26 23:14 ] 心のふるさと京都♪ | TB(0) | CM(0)

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