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こうもり

ウィーンの華麗なるオペレッタを代表するヨハン・シュトラウス作曲の歌劇『こうもり』。

Fledermaus_Japan.jpg




ウィーンの華やかで優美な音楽と、それでいてユーモアたっぷりのコケティッシュな世界を
たっぷりと堪能できる、陶酔と笑い満載の、とても楽しい舞台だ。
(詳しくはウィキペディア(←クリック!)でご覧ください。)



このオペレッタの存在を始めて知ったのは、中学三年生のときだった。



↓《こうもり》序曲
http://www.youtube.com/watch?v=WHMVjPcsRgg

↓お気に入りのアデーレのアリア。
http://www.youtube.com/watch?v=WHMVjPcsRgg





当時、大好きだった担任の先生が、特別授業でビデオを観せて下さったのだが、
特に興味も関心もなく、わけもわからないままに
教室の片隅の小さなテレビ画面を、みんなでなんとなく眺めていた。





―しかし、もともと私は、ドイツ語の雰囲気が大好きでたまらない少女だった。




それも、ある日たまたま、
シューベルトの歌曲『野ばら』を初めてドイツ語で耳にし、
その語感の美しさと声の豊かさに、今まで自分のまるで知らなかった高貴な世界を知り、
大衝撃を受けたことがきっかけ。
それ以来、ドイツ語を知りたい!!!とか、
シューベルトの歌って…なんだか知らないけれど、
SMAPやアムロちゃんの歌とはまったく別物!!
とか、
ゲーテの詩に、遥か遠い外国の街、人、文化の香りがする!!!
その未知なる世界に陶酔してみたい!!


…なんて、思うようになっていた。




自分のありきたりなつまらない実生活では感じられないような、
胸のトキメキがそのドイツ語の歌の世界には存在したのだった。




担任の先生はドイツ語を勉強されていた方なので
(教科は英語だったけれど。)
そんな私の猛烈な好奇心や興味にいつも軽々と答えて下さり、
シューベルトの『野ばら』や『魔王』、ビートルズの『抱きしめたい』のドイツ語バージョンを使って、
読み方、簡単な文法を伝授してくださり、
私の得体の知れない大きな憧れ、欲求を満たして下さった。
(だって、周りにドイツ語ができる人がいなかったのだもの。)




…それで、
その延長線で観たのがコレ。




最初は、別にドイツ語の芝居なんて興味なかった。
オペレッタ?オペラ?
なんじゃそれ。
そんな感覚だった。



最初は、なんなんだ、こうもりって。とか、
吉本新喜劇のウィーンバージョンなのか?なんて思いながら、ウィーンのユーモアを面白半分に観ていた。
(いかんせん、テレビ画面が小さすぎて、まったく臨場感が味わえなくて…)
しかし、なんだか華やかなウィーンの世界観・ドイツ語圏の文化に憧れた。



『このひと、ドイツの音楽界で大変有名な偉大な歌手なんだけど、最近亡くなったって新聞に載ってたんだよ。』

先生がそう言って指さしたのは、かの有名な世界的バリトン歌手・ヘルマンプライだった。


『この、オルロフスキー侯爵という役をやっている男性は、カウンターテナーと言って、
女性のように高い声を出すんだよ。』


…へぇぇぇぇぇ。米良さんみたいなものか。(←この頃『もののけ姫』が大流行りしていた。)
それにしても、この男性っぽい容姿でこの女性のような声を出すのは確かにビックリするな!






…んま。いずれにせよ、自分とは関係ないけどね!!





…まるで、遠い世界の遠吠えを聞いているように、聞き流していた。







…その自分が、○○年経って、気付けばオペラの世界に飛び込んでいて、
男装してオルロフスキー侯爵を演じることになっていた。


↓女声のオルロフスキー。
http://www.youtube.com/watch?v=tU3KaheqrR0&feature=related


…つまり、ビデオの逆バージョン!?
(メゾソプラノ歌手が男装するバージョンと、カウンターテナーの男性が高い声で歌いあげるバージョンが
あるんです。)





人の人生とは、分からないものである。




―――しかし。当時から、運命めいたものを匂わせてはいた。


当時は自分がオペラ・声楽の勉強をするなんて思いもしなかったはずなのに、授業で鑑賞が終わった後も、何故かわざわざ先生から『こうもり』のビデオテープを直接お借りし、
卒業式当日まで半年以上、生徒の中で私一人だけが所有、という名の借りパク(?)していたという
いわくつきなのだ(笑)
(私が卒業するまで借りていたので誰も借りられなかっただけかもしれないが…。)




…そんな私が、オルロフスキー役をやることになり、
オルロフスキー役が歌えない、暗譜ができない、ドイツ語が覚えられない、
やだやだやだやだ歌えなーーーーーい!!!!!
本番なんて無理無理無理ーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!


と、先週まで騒いでいたのだよ。。。。


これじゃダメだ、と思って、私の歴史を回想してみたのだ。
私は昔はこんなんじゃなかったはずだ、思い出せ、かつての私を、と思いながら。
そうして出てきたのは、中3の頃のこんなエピソードだった。


もう、先週本番は終わってしまったが、せっかくなので、
私の「こうもり」回想記録をブログに書き記すことにした。
それが、今回の日記(エントリー)。








…続けることにする。





そうこうして、初めて『こうもり』の序曲やアリアを本場ウィーンの生演奏で聴いたのは、
19歳のときだった。



なけなしのアルバイト代とお年玉を使って、憧れのウィーンに貧乏バックパッカーとして
一人ヨーロッパ放浪旅に出ていたとき、2週間ほど立ち寄った。



どうしてウィーンに行こうと思ったかというと…ただの思いつき。
いやいや、音楽の都・ウィーンには行ってみたかったからさ。
でも、もっと行ってみたかったのは映画『サウンド・オブ・ミュージック』のザルツブルクだった。
そこへ行くついでに、ウィーンへ寄った。
ついでだったはずなのに、それがもう、予想を遥かに超えた、べらぼうに最高の大好きな街となった。



…そんな本場ウィーンの国立歌劇場の前で、
チケット売りの兄ちゃんに演奏会の券を押し売りされた。
貧乏旅行で食事も一回500円で抑えていたはずなのに、
たった1回の演奏会で日本円で5000円も払うことになったのだが、



そこで魂の震えるような激しい感動を味わった。



こんなに素晴らしい音楽を今までに聴いたことがない!!
音楽とはこんなに人を至福で幸せな気分にさせるのか!
と目からウロコだった。(←まァ、音大生だったんだけどね。)



その、19歳当時に書いた世界旅行記の中に、その晩の出来事が記されている。↓
http://www.geocities.jp/satomiyada/conzert.htm
(※当時の文章そのままです。)



一音、一音が空間に軽やかに舞い、弾む。
ワルツのリズムが、その場の空気や人の感情すらも動かす。
演奏している人達が、こんなにも楽しそうでコケティッシュで…
その喜びが、聴いている者にも伝染してくる。
思わずこちらも、笑顔になる。



クラシック音楽って、もっと難しい顔して聴く、重々しくて難解なものかと思っていた。
実際に日本では、学のある者、知識、教養があるものしか理解できないジャンルだと思われがちだ。
ところが、ウィーンの音楽は軽やかで、華やかで、
甘い香りと上質なシャンパンにホロ酔いしたときのような陶酔感がある。
日本では聴いたことのないような軽やかで繊細な音の響き、
空間の空気ごとそよ風のように動かすリズムの刻み、
そこから溢れ出す喜び、楽しさがそこにはあったのだ。



…そして、19歳当時の自分の文章表現をそのまま拝借しよう。


その楽しさや軽やかさは、単なるおふざけや我流ではなく、
作曲者の意図、意志を多大に尊重し、楽譜からインスパイアされ、
作曲者の音楽性、感性を忠実に再現し、綿密に計算しつくされ、
楽譜の奥の奥まで熟知し、細心の注意を払ったうえで、遊び心、ユーモアも忘れない、といった感じ。



こんなに機知の富んだ、素晴らしく立体的な音楽、空気感に触れたのはウィーンで初めてだ。



ウィーンの街にはこんなにも日本とは違う音の世界が昔から人々の中に染み付いているのかと、
素晴らしく幸せなカルチャーショックを受けた。



日本に生まれてきた自分はなんて不幸だ、と思ったと同時に
それを今、ここで身近で感じることができた自分はなんて幸せ者なんだと、



あの頃の私は思っていたのだった。





そしてその当時、
音大1年生、声楽歴1年の私は、


自分の声がなかなか思うように出ない、
思ったように歌えない、
好きなように歌うとダメだと言われる、


と、いう深い悩みを常に持ち続けていたのだが、

「歌とは苦痛と試練の連続である」というスローガンを掲げていた自分を解放してくれ、
目を開かせてくれたのは、あのウィーンで聴いた、『こうもり』だったのだ。





私は、あの本場のオペラ歌手のように、生きた演奏をしたいんだ!
あんな風に、人々を楽しい気分にさせる、チャーミングでコケティッシュな魅力あふれる表現をしたいんだ!



あの場で、私は密かにそう自分自身と約束したのだ…。





そう。そんな時代が確かにあった。







しかし、前回のブログにも書いた通り、去年までの私は不調一直線。
歌との距離感も掴めず、情熱や愛情が持てなくなりつつあり…
それでも、なんとかなぁなぁでやり過ごしていたのだが、
この『こうもり』のオルロフスキーの不調っぷりで、もうごまかしが効かないぐらいにまで、
成り下がってしまっていた。



オルロフスキーと自分自身が全く一体にならなくて、楽しめない。
譜面を見ても、何も湧いてこない。何も響かない。



歌に違和感を感じ、不調和が生じる。
自分自身の神経も病むという緊急事態。


全然思うように歌えなくて、苦しくて苦しくて逃げたくて。
ひとつがうまくいかないと、他の全てがうまくいかなくなって、
他の歌やそれ以外のものとも不調和が生じて、どんどん奈落の底に落ちていく。




それを引き起こした原因は、腐りきっていた自分自身の心だ。
よくよくわかっている。
だからこそ、自分は情けない、惨めだ、くだらない、
そうやって自分自身を責めた。



不思議なぐらいだった。
これだけ時間をかけてこうやってやれば、だいたい譜読みは完了する、
暗譜はできる、という自分なりの基準がこれまでは存在していたのに、
正月休みを潰してそれに時間をかけても、呆れるぐらい、



歌詞が出てこない
声が出てこない
歌が分からない




こんなことは本当に初めてだった。



今まで本番直前で暗譜で悩むとか、歌詞が飛ぶなんてこと、
10年やっていてまず有り得なかった。
(譜読みは大変でよく困ってたけど…。)



身体に、頭に、入ってこない。
私は病気になったに違いない。


夢にまでうなされた。


夢と夢の間の浅い眠りのときに、そのドイツ語の歌詞は呪文のように私を追いかけてくる。





オペラ研修所時代に演出家に「うなされるほど練習してるのか?」と聞かれたことがある。
正直言って、そこまで舞台に命を削ったこともなかったし、
そこまでするほど恐ろしい舞台を踏んだこともなかった。
片手間に、無難に舞台をやり過ごしてきていた。



今回ばかりは、いつもと全く違った。



夢にうなされて頭痛がする。
そのたびに、あの演出家のあのセリフが頭の中を駆け巡る。
本番直前だったのに、熱が上がって倒れてしまうかと思った。




ちっとも楽しさを感じられない。
心に響かない。
体に響かない…。



私の中の何かが完全に狂っていた。





…だから。



がむしゃらに覚えることをやめたのだ。
「できないできないできないできない」と思うことをやめて、
頭から火が出そうなほど、自分を追い詰めるのをやめて、
錆ついてる自分自身の奥にある本来の自分自身を見つけよう、、
自分の原点に立ち返ろう、と思いついた。




そして、本番の前日に、この日記の大まかな流れが出来上がった。(笑)
この日記は先週の私の頭の中のこと。(笑)




前日に、師匠に涙ながらに自分の中の不調和・違和感を訴えて、
出演辞退を申し出て、
…それは本当にかっこ悪く、醜いことだったのだけれど、
師匠は厳しくも温かく、「乗り越えろ!」「逃げるな!」「やれ!」の一点張りで、
私は、逃げる余地を失い、歌うしかなくなってしまった。


…あんなにボロボロだったのに。



…でも、そのおかげで、自分の忘れていた、いろんなことを思い出した。


「あなたが神様を信じているとするなら、今の自分を乗り越えて、やるだけやって、
あとは舞台・芸術のミューズの神が舞台でほほ笑んでくれることを信じて舞台に立ちなさいな。」



そう言って下さらなかったら、私は相変わらず、
自分の体の中の違和感・心の不調和から抜け出せず、舞台で大失敗をして、
もう二度と歌うことはなかったかもしれない。



永遠に「逃げ」の人生だったかもしれない。





本番は、「私の恐れていた大失敗」をすることはなく、
言葉が出てこない、歌詞を忘れる、ということもなく、
アドリブで笑いが出てしまったぐらい、落ち着いてこなすことができた。



私は、オルロフスキーを可愛がり、愛し、楽しみ、
解ろうとすることをしようとしなかった。
楽しみながら学ぼう、そして感じよう、ということから避けていた。
だから、こんなにもつまづいていたのだ。





ただただ無機質にドイツ語を覚えること、
歌うことを、
仕事や事務作業のように感じて向き合おうとしていたから、
こんなにもうまくいかなかった。



私は、心に豊かさを忘れ、
諦めやめんどくささの中で日々をやり過ごそうとしてしまうと、
こんなにも、歯車が狂ったゼンマイじかけの人形のように、
錆び付いて壊れてしまうんだと感じる。




あの喜び、感動、憧れ、
ただただ『好き』だという純粋な想い。



それを忘れてしまうと、ダメになるのかな。
きっと、何事に対しても。




舞台は孤独な場所だと思っていた。
弱い自分と闘う場所。
自分自身が真っ裸にされ、さらけ出され、より高みにいくためには乗り越えなくてはならない場所。



もちろん、そういう時もある。


でも、それだけではない。
舞台はいつでも私に日常では味わえないような喜びと華やぎと感動を与えてくれる場所だった。


今度は私が与える側だ。


そして、そのときの自分はきっと、あの客席にいた頃よりも、
もっとずっと喜びと感動に満ち溢れているはずだ!!



…本番直前に、そう思い直した私に、ミューズの神様やオルロフスキーは、
ありったけの力を与えてくれた。


声や技術は置いといて、ありったけのパワーと心を与えてもらったのだ。




それは、ウィーンで聴いた演奏のように、機知に富み、
内容を熟知し、綿密に計算しつくされた演奏には程遠いことは自分でよくよく分かっていた。


そうなるには、勉強が足りなさすぎた。
自分の音楽に「知」や「学」で満たすアプローチを、する余裕も時間もなかったのだ。
ただの「自分の感性」だけで舞台に立ち、歌ったのだ。




でも、自分の持ち前の感性と情熱は計り知れないことを知った。
私が幼い頃から積み上げてきた情熱、感情、
それらは、こんなにも自分を救いあげてくれ、とんでもないパワーとなることを知った。
歌を歌うことでこんなに楽しく、幸せになれる自分自身の存在も知った。



しかし…それに伴う「知性」「学」が必要だな。



そんな私の本番を観て下さっていた指揮者の先生が、
ゲネプロと本番のあまりの変わりっぷりを大変褒めて下さり
「お前のこと気に入った!」「今度お前を使ってやるわ!」と打ち上げの席で言って下さった。




大変光栄なお言葉だった。
恐れ多いお言葉だった。
そして勇気と力を頂いた分、
私は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。




こんなにいい加減な気持ちで舞台に立っちゃいけないな、と、今回ほど反省したことはない。
感情のままに気ままに舞台に立ってはいけないんだ。
自分がいい加減で遊び半分に、中途半端な気持ちでやっていたら、役にも音楽にも
聴いて下さる人にも周りの方にも、すべての人に対して失礼なんだって。


今回ほど痛感したことはない。




指揮者の先生にも
「いいところはたくさんあるが、役作りが全然足りてない。
オルロフスキーとしてはゼロ点だね。」
と厳しいご指摘…。


今回、忙しさを理由に、レッスンにもなかなか行けてなかったし、
かといって、その穴を埋めるような努力、自主勉強も全然足りてなかったから、
その自覚は十分にある。


恥ずかしい。



もっと勉強したい。
もっともっと「学」に埋もれていたい。
「知性」「理性」が自分の持つ感性に追いついていきたい。
もっと勉強したら、もっともっとできるはず!!!
もっと自分の自信となって、もっと自分の表現が広がっていくことも、潜在意識の底から感じ取れる。
もっともっとやりたい!!!
素晴らしい方、勉強と努力を積んでいる方、自分の知らない世界を知っている方のもとで
研鑽を積みたい。




…そんな思いが芽生えた2012年。


私は、オルロフスキーをもう一度しっかりと勉強しようと思う。
いつか、華やかな舞台で自分の思い、情熱が花開く日まで。




《こうもり》よりシャンパンの歌↓
http://www.youtube.com/watch?v=rnkn6xLqxMg&feature=related



※追記※
面白おかしく、ひたすら華やかな「こうもり」だが、
このお話は政治的・歴史的暗示を匂わせているという。
プロイセン・ロシア・オーストリア・ユダヤの象徴が各登場人物に暗示されており、
(主役のアイゼンシュタインはユダヤ人名であり、何を隠そう、作曲者シュトラウスもユダヤ名なのである。)
それを知った上でこのオペレッタを観賞すると、また違った面白みがある。

そう思うと…芸術って終わりがないですよね☆
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[ 2012/01/14 20:42 ] オペラ・ミュージカル | TB(0) | CM(2)

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このコメントは管理人のみ閲覧できます
[ 2012/01/15 23:50 ] [ 編集 ]

Re: タイトルなし

コメントありがとう!!今回はあなたの努力とがんばり、そして舞台上でのやりきり感、
役へのなりきり感、歌の成長ぶりに本当に刺激を受け、感化されたよ!!ありがとう。
本当に苦しくなる時もあるけれど、ayaちゃんみたいに一緒に頑張れる仲間がいること、
本当に嬉しく幸せに思うよ!これからも共にがんばって前へ進み、大輪の花を咲かせよう!
いつまでもいい仲間でいてね☆
[ 2012/01/26 10:18 ] [ 編集 ]

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