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江古田。

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★江古田のうた★
http://www.youtube.com/watch?v=p1V21rtitdE



私にとって、そこは






音楽の街。

希望の街。

出発地点の街。

震災に遭った街。

走り回り、自分自身が息づいていた街。





去年までは特に気が付かなかったけれど、
東京という都市に足を踏み締めると、
それは『いち社会人としての私』や『大人の私』などではなく、
『歌をうたう私』として、そこに存在している、という意識が高まるのを感じる。


もともと東京は、
歌うためにやってきた街だった。


そこに住もうとか
お金を稼ごうとか
成功したいとか
のし上がりたいとか
成り上がりたいとか
いい家に住んでいい服を着たいとか
いい仕事にありつきたいとか
何かを始めたいとか




残念ながら、
世間の人様が抱くような、そんな欲は全くなく




ただただ歌いたい




その一心で、他に何の考えもなく上京した。




ことさら江古田の街は
私にとって『歌う場所』以外の何物でもない。





今から四年前に、江古田に向かおうと池袋から初めて乗った西武池袋線。
古ぼけたレモンイエローの車体に、まるで外国の中央駅のような騒然としたホームの羅列。
車窓の向こう側でカーブを描きながら、徐々に小さくなっていく池袋の高層ビルをみて、

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胸がときめいた。


まるで、異国風だ。
そこには夢とか希望とかしか存在しなかった。



やがて、
そこに住み着き、
自転車で走り回り、
自転車を撤去されたあとは、歩き回るようになるのだが、


如何なるときも、
ただ『歌うため』。


そのためだけに江古田を歩いた。



レッスンに通ったり
スタジオや武蔵野音大の練習室に忍び込んだり
重唱相手の友達と練習をしたり。
お腹がすけば、そこら中にある飲食店にのんびりと入る。

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過去も今でも、オーディションや本番があれば、必ず拠点は江古田だ。
がっつりと歌う日の朝は、駅前のカフェJr.イタリアントマトのハニートーストを食べるのが私の定番。



多分、我が人生で最もお金のない時期だったし、
お金がないことが不安で不安で仕方がなかった。


私の年齢では平日の昼間なんて働いているのが当たり前の感覚なのだろうが、
私の場合は平日の昼間からフラフラと練習室やスタジオで練習三昧。
そうこうしながらも、明日の飯、明日以降の支出について心配と不安が頭をよぎる。


しかし、歌うことが楽しすぎて、
オペラに触れている時間が何物にも代えがたい至福の瞬間で、
それに反して、うまく歌えない自分の不甲斐なさにイライラしたり、ムシャクシャしたりして、
私と同じように歌に真剣な同士たちと、もっと良くなりたい、と容赦なくダメ出しをしあったりして、



ヘンテコだけど
無茶苦茶であおい、
がむしゃらな時代。



あるのは『オペラを専門に勉強してます!』『やがては素晴らしいプロになるつもりです!』
という自尊心のみ。


でも、無我夢中で幸せだった。




あの頃は、
音楽以外なにもできなかった。


それこそ、
レッスン、演奏会、
楽譜代、CD、DVD代、学費ばかりにお金は流れていき、


明日のメシ、
明日の家賃、
年金、税金、
服や美容なんてトンデモナイ


それらに追われて四苦八苦していた。




享楽的に誘惑する東京の歓楽街なんて、
アルバイトをするか素通りするかで
優雅に楽しむなんてしたことがない。


でも、いつも身の回りにはクラシック音楽が流れていて、
脳裏からオペラの世界が離れることはなく、



そんな時代は終わり、
平日の昼間はまともに就職し、
人並みにお金を稼ぐようになり、
福利厚生は保障され、
まぁいわゆる『安定』と呼ばれる生き方をしている今、

あの時代を思い返してみても



キラキラと輝いて、
最高に魂が震えるような幸せに満ちていた。




今の生活はあのときにはなかったある意味での『自由さ』(金銭の面かな)と
安定感と気ままな充実感があるけれど、
普通に生活している者には絶対に味わえることのない、
抑制された中での溢れ出るような『満足感』や『喜び』、
『達成感』があの時代にはあったな。




そんな時代に、確かに私は存在していた。








歌を歌うこと。
それは最近、あのときに比べて速度をゆるめている。
毎日働きに出て、
音楽を教えて、
歌を歌ってはいるが、
ここ二ヶ月ほどは、必死さから生み出された濃密な関係ではない。



でも、
先日、江古田の愛用スタジオ『フェルマータ』で、
一年ぶりに二期会オペラ研修所時代の同期生たちに会って、共に練習した。

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ああ、かつてはこんな自分もいたんだ、と

思い出した。




去年までの自分。
なにもないけれど、
ただ歌うことで人と繋がり、
歌うことで自分を保ち、
歌うことで自分の心を満足していた自分は、
このひとたちと同じ空間、同じ時間の中で存在していたのだ。



二年間、共に同じ空間の中で同じものを作り上げ、そしてまた、闘い合った仲間たち。



思い出話に花が咲き、
あの先生やあの作品の話、
あの演出やあの立ち稽古、あの曲の話に
「あああああー!!懐かしい!!!!」
なんて言いながら、笑い合う。


そして、久しぶりにみんなと歌い合う、あの時間がなんとも絶妙で、
まるで懐かしい香りを嗅いだ瞬間のように、
あの日々の記憶に巻き戻された。



一年で随分と変わってしまったんだな。




あのときの私は、
今の自分を取り巻く、今の環境・今の立場・今の人間関係とは全く違う、
そして今の自分の姿を予想だにしない世界の中で存在していた。




でも、あの頃の自分は決して、錆び付いたわけではない。
ふとした瞬間に、いつでもあのときのぬくもりを帯びて、
湯気が沸き立つままに、あの日々、あの瞬間に立ち返られる場所がある。



それが江古田だ。




ここにいれば、いつもの社会人としての自分ではなく、
自由で心もとない「歌をうたうひと」として魂が安堵する。


うまく説明できないけれど、
自分の原点に立ち返れる場所が、私にはあるんだね。



そして、東日本大震災の起こる瞬間に、
今まで経験したことのないような揺れを感じたのも、この地だった。





2011年3月11日14時46分の瞬間は、
後輩から借りた自転車にまたがり、
環七の向こう側の江古田ゆうゆうロードに行くために、新桜台の交差点で信号待ちをしていた。


税務署で確定申告をするために。


二回目の余震・震度五を経験したときは、江古田の日大の目の前にいた。



でも、そのおかげで本来なら新宿・渋谷にいて帰宅難民になるはずの自分が、
後輩に自転車を返して、徒歩で家に帰ることができた。



思い出はもりだくさん。
多分この先、どこに移り住んでも、
この場所は特別な地となっていくんだろう。





あの日々
この場所
この思いとたくさんの歌

それらは我が人生の誇りだ。




今の自分は幻の姿、仮の姿に過ぎない。
次の冒険に出るための。
より自分らしく羽ばたくための。


自分自身、
あの頃に比べて、
翼を休めているように思えるが、
次に飛び立つためにゆるめているのだということも、
自分ではよくわかっている。
よく見えている。



より高く遠くへ飛ぶため。



この場所から。





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[ 2012/03/19 23:49 ] ライフスタイル | TB(0) | CM(0)

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